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演劇空間ロッカクナット 感想11/27

前書き

所々厳しい感想を書きますが、演劇を初めて10年も経っていない若僧の独断と偏見で書いていることをご承知の上で読まれて下さい。逆に、この感想に対して意見や批判等があれば各々Twitterやブログ等で発信して頂きたいですし、是非それを拝読したいです。基本的にはロクコレを通して、参加団体の方々が演劇に意欲を持って、福岡演劇界が盛り上がる事を期待しています。

公演について

【公演名】

『そこここに、戯れ』

染矢は5公演目 11月27日 18時の会を観劇。

場所は糸島市可也山・特設ステージ。40席くらいだったが、特設なので決まった数ではない。

1演目、40分程の公演。

公演会場への道のり

グーグルマップで自宅から会場までの経路を見ると片道およそ2時間。公演会場はかなりの田舎というか、山奥。そもそも、僕は交通機関を使った長時間移動が大の苦手だ。北九州の公演を見に行く時には必ず新幹線を使うくらいだ。しかし、ロクコレの公演であれば、見に行かねばと決心して、地下鉄天神駅から筑前前原駅へと向かう。筑前前原まで行くのは凡そ6年ぶり。電車の中で運営からのメールを見直す。

 

「会場の近くにはトイレがないので、近くの駅ですませて来て下さい。緊急事態時は山中にお願いします。」

 

これだけ移動に時間掛けさせて演劇がつまらなかったら許さない…というよりも、トイレの事だけで頭がいっぱいだった。しかも、私は前日までお腹を壊していて自宅のトイレに引き篭もっていた。次第に電車からは見慣れた街並が遠ざかっていき、厳しい冬の日本海が広がる。

 

筑前前原駅
筑前前原駅

筑前前原駅に着く。そこには会場への送迎バスが来る予定になっている。ありがたや。一度、駅のファミマで温かい飲み物を買うも、もう一度考え直して、水に流せるティッシュとビニール袋を買って最悪の事態に備える。

 

17時になって、送迎が来る。しかし、送迎バスは8人乗りの大きめの車だった。僕を含めた6人の観客が、互いの肘やももを触れ合わせながら座り込む。車はずんずんと山へと向かっていく、民家すらぽつぽつとしか見当たらず、大体見えるのは田んぼとビニールハウス。開けた窓からむわっと牛舎の匂いが入り込んでくる。そして、舗装されていない田舎道が腹を刺激する。次第に日が暮れ、何でこんな所に来てしまったのだろうと少し後悔する。

竹林の中に舞台

会場前の駐車場に着くと、顔見知りの演劇人がいた。その人からすぐ近くのトイレがある施設への案内があり、連れて行ってもらった。そして、その施設には10人程の観客(恐らく大学生達)が待機していて、一緒に会場へと向かう事になった。会場への道のりは中々に険しかった。(Youtubeにその案内の動画があるので添付しておく)

しかし、楽しそうに登って行く大学生達といたので、夜の田舎の寂しさはなく、サークルの旅行でログハウスに向かっているような気持ちだった。そして10分程登ると、突然、暗闇の竹林から舞台が現れた。

演劇について

ここまでが会場に来るまでの話。やっと公演内容について書く。

 

この演劇の冒頭。博士と呼ばれる人が出て来て「竹は別々に生えているようでも、土の中の根っこで繋がっている。それは人間にも同じ事が言える。人々は目に見えない何かで繋がっていて、人の生死に明確な境界はない。」みたいな事を話す。良くも悪くもその博士の発言で、この演劇は完結していたように思う。 

 

まぁ、この素晴らしい舞台でそんな事を言われたら、もう説得力が有りまくりな訳ですよ。まず、このグルッと竹に囲われた大自然。そして、それを切り開いて舞台を作った劇団の方や地域の方の苦労とか応援とか、僕がトイレに連れて行って貰ってホッとしたこととか、色んな情景がそのセリフに重なるので、そのセリフを聞いた時点で感動というか、自然・人間の営みに思いを巡らされた。逆に言えば、その環境作りへの腰の入れ方が半端じゃないので、博士のセリフ後の演劇に関して言えば、どんなにクオリティーが高くとも低くとも、全く意味不明な儀式が行われたとしても、公演に対しての印象や評価はあんまり変わらないだろうなと、その時点で感じた。

脚本について

しかし、一応、舞台とは切り離して、演劇の内容についても書く。冒頭の博士は舞台後方に座り、観客と共にとある家族の物語を見ていく。という形でお話が進んで行く。劇中の抽象的な会話は省き、大まかな脚本の流れを僕はこう受け止めた。

 

交通事故で姉の大切な人(夫?兄?)が亡くなる。

          ↓

・姉が悲しい気持ちになり、カレーライスを作る。

          ↓

・妹が姉の元へ腹を空かせた海坊主を連れてくる。

          ↓

・姉の作ったカレーライスを食べて海坊主は幸せになる。

 

という流れ。「悲しいこともあるけど、その悲しみも何かの繋がりになっていくんだよ。」といったメッセージ的なものを僕は受け取った。しかし、この企画において、この脚本だと、物足りないのではないかと思う。

 

この公演、というか舞台作りなどを含めた活動は、放置竹林問題を解決する事を目的としてクラウドファンディングを行っている。とても素晴らしい取り組みだ。(もう締め切られているが、下にページを添付する。)

 だからこそ、そこに軸を置くのであれば、「放置竹林のようなネガティブな問題も、自分ごとと捉えてくださいね。」的なメッセージが、演劇の中に盛り込まれるべきなんじゃないかと思った。

それが「世の中大変な事もあるけど、目に見えない繋がりの中で私達は生きていきます。」だと、弱いんじゃないかと。フュージョンという魔法でも解決出来ないものがあるんじゃないかと疑問を投げかけるシーンが欲しかったというのが本音だ。

そこここに、戯れ

ただ、菅本さん(公演の作演)の書いたキャラクターやセリフは遊び心があって、そういうかっちりとしたメッセージを出すのには向いてないだろうなとも思う。劇中、妹が突然発狂したように竹を切り、夜の竹藪の中に消えていったと思ったらかぐや姫ではなく、海坊主を連れてくる。姉は悲しい気持ちになると、じゃがいもと肉しか入っていないカレーを作る。亡くなったはずの姉の大切な人が、“気分おばけ”として出て来て、妹に「へそくりの場所を教えてあげる。」と話し出す…(気分おばけの「気分」は何なのか結局分からない)

暗い内容なのに、一体どこから出てきたか分からないユニークな単語が出たり、コミカルな展開になるのは、個人的に好きだったし、役者たちも伸び伸びと楽しんで演ってる空間が温かかった。(特に、気分おばけと妹の所作が僕のお気に入り)

 

タイトルに「そこここに、戯れ」とある通り、竹林の中を自由に駆け回る役者の姿を想像して、それを楽しんで欲しかったのだろうし、僕はそれを楽しんだ。それ以上でも以下でもない。

まとめ

なので、菅本さんが今回、原さん(公演の舞台監督の方)と組んだのは正解なのではないかと思う。舞台はちゃんと組んで、お話は雰囲気重視で遊んでしまうのも一つの演劇の有り方なのだと思う。

何がともあれ、この地域の問題と芸術の企画自体は演劇に拘らず続けて欲しいし、原さんも福岡から出たとして、その地域にも放置竹林のような問題はあるだろうから、今回の公演を何かしらの形で生かして欲しい。芸術や市民演劇の社会的な役割というのは、こういう所にあると思う。

 

往復4時間、観劇1時間。とても有意義な時間でした。