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映画の撮影中に迷子になった件

『48時間映画祭』をご存知ですか?

 48時間映画祭(48 Hour Film Project)は与られたジャンル・キャラクター・台詞等を取り入れ、48時間以内に脚本執筆から動画の書き出しまで全てを行う映画祭のことだ。運営から出されるお題は細かく設定されているので、映画監督は事前に撮影を進められないようになっている。だから、お題が出るまでにできることはキャストや制作スタッフを組織したり使えそうな衣装を揃えることくらい。作業量は言うまでもなく膨大で、寝る時間すら十分に取れない過酷な撮影が強いられる。しかし、この映画祭の審査を勝ち進めば、無名の映画監督がカンヌ映画祭のレッドカーペットを歩くことも夢ではない。

 私には映画を撮った経験がない。しかしこのブログを書く7日前にその映画の存在を知り、撮影に関わることになった。

参加のきっかけ

私は、3月頃から『電気海月のインシデント』で広く知られる萱野孝幸監督の撮影に参加させて頂いた。実写映像をほぼ作ったことのなかった私は、そこで照明や制作の手伝いをしながらも、実写の撮り方を学ばせてもらっていた。そして、その撮影が終わった直後に、この映画祭の存在を伝えられた。不安は大きかったが、そのチャレンジ精神溢れる撮影を体感したい自分なりに創作に貢献したいと思い、参加を決めた。

 

撮影スタート

 撮影初日19時、撮影クルーのグループLINEに、運営から与えられたお題が共有された。萱野監督の執筆は凄まじくスムーズで、監督を支えるカメラマンやキャストもその指示に従って、迅速かつ意欲的に撮影に望んでいた。私は狭い室内での撮影に苦戦しながらも、バッテリーの管理や照明の手伝いに奔走した。そうして撮影開始1時間の間に出来上がった即席のスケジュールにも殆ど遅れることなく撮影は進められていったが、ロケ地を移動する時に私はとあるハプニングに遭遇した。

迷子

  私は次のロケ地へ移動する際に道を間違ってしまった。しかも、なぜかその住所はgoogleマップでは確認出来ず、撮影クルーで共有されたHPの中にも住所が見つけられなかった。(実際はそのHPの中に住所は載っていたが、焦っていたせいでわずか徒歩3分程離れたロケ地にたどり着けなかった。)

 既に移動し終わった撮影スタッフに電話しようにも、そのクルーたちは撮影で電話に出られない。撮影が始まる前までは、創作意欲に満ち溢れていたのに、現実では、誤って辿り着いたマンションの前で、カメラバッテリーや重い音響機材を抱えたまま右往左往しているだけだった。その時、道を間違えた後悔よりも、自分がいなくても撮影が進められていることに、私はどうしようもなく無力感を感じていた。その後で、他の撮影クルーのおかげでなんとか現場にたどり着いたものの、撮影現場にいることがとても恥ずかしかった。他の撮影クルー達は、私のちっぽけな無力感など知るはずもなく、大きな責任を背負って果敢に撮影時間と闘っていた。そして、その優秀な撮影クルーやキャスト達の熱意によって、かなり早い段階でクランクアップすることが出来た。

 

動画編集

 撮影を終えると次は動画編集作業に入る。 この作業は根気が求められる。脚本に合わせ映像を並べる作業・画面の色彩を整える作業・音声や音楽を入れる作業など、様々な編集作業が必要だからだ。

 私はその中から一部の映像編集を監督から任された。比較的重要度が低く作業量の少ない編集だったので、他の撮影スタッフに比べれば大した仕事量ではなかったが、迷子になって気を落としていたこともあって、割とプレッシャーを感じていた。それでも、撮影での失敗を挽回しようと編集に臨んだ。

 私が編集するシーンには明確なストーリーがなく、自由に動画を並べ替えられる作業だった。しかし、適当に並べてしまうと、あまりに脈絡がなさすぎて意味不明になってしまう恐れがあった。なので、それとなくシーンの流れが伝わるように編集して監督に確認して頂いた。すると監督はその中からかいつまんで、「ここがいいね。もっとこうしてくれたら良いよ。」と丁寧に指摘をしてくれた。そのコメントが素直に嬉しくて、多少のアクシンデントはあったものの順調に編集を進めることが出来た。

 

タイムリミット

 私の作業は順調だったが、他の編集に携わるクルー達はとても辛そうだった。撮影での疲れを残したままの作業だし、タイムリミットが迫るためにうかうかしていられない。編集が一通り終わった後もクルー全員で、音の乱れや、エンドロールの文字にミスがないかを隅々までチェックする。全ての編集が終わり動画を運営にアップロードしたのはタイムリミットの約10分前だった。

 動画が提出できた瞬間、集まっていた撮影クルーの中で自然と拍手が起こった。周りのクルーが達成感を共有している一方で、私は安堵と撮影クルー達への感謝の気持ちを強く感じていた。映画を撮ることにこれまで憧れや夢を抱いていたが、私はCG制作をいくつかしていたくらいだった。そんな私が仕事ができなかったり、迷子になったときも、萱野監督をはじめとする撮影クルー達は、この映画祭ならではのプレッシャーの中でも私を疎外しなかった。むしろ優しい言葉を常にかけてくれた。大した仕事をしたわけではないが、とても心強い仲間を手に入れたような気分だった。 

今後について

 

 作品の審査・結果の発表は5月21日前後に行われるそうだ。ひょっとすると、カンヌ映画祭に出場できるかもしれない。逆に何の賞が得られなくても、また萱野監督やその周りのクルー達と映画作りがしてみたいと感じた。

 そして、それとは別に、私が関わってきた演劇・合唱・CG等を駆使すれば、他の映画にはない作品が作れるんじゃないかという思いつきとワクワク感が芽生えた。私がこれまで映画を作ってこれなかったのは知識や経験よりも、自信や熱意に問題があったのかもしれない。構想はなんとなく思いついてはいるので、それを練って行くつもりだ。今年の8月の一人芝居が終わったら、コロナが収束して皆んなと会えるようになったら、大勢の仲間と一緒に新しい創作の冒険へ出かけたい。