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ADADAに参加した感想

今日、ADADAという大会にスタッフや応募者として参加した。

  ADADAとはデジタルアートとデジタルメディアを利用したデザインにおける幅広いトピックについて多様な議論の場を設けることを目的として、メディアテクノロジーを駆使したデジタルアート、デジタルコンテンツ、ユーザーエクスペリエンスデザイン等、デジタルデザイン分野に関して幅広い観点から新しいアイディアを交換し、未来を議論することで日本国内のデジタルクリエーションをますます活性化させることを目指します。
(ADADA Japan ホームページ参照)

といったもの。まぁ、雑に言いかえれば「パソコンを使った新しい方法で制作をしたものとか、研究を発表し合う」という催しだ。私自身、今回初めて参加するまでどんな内容なのかもはっきりと把握してなかったので、来てみて驚いたものは沢山あった。

  特に1番興味深かったののが、(タイトルを忘れたが)映像作品において視点という概念はあるけれど「聴点」という概念や言葉はないよね?という話だった。
  聴点というのは視点と同じ考え方で、「実写映像を撮る際にどこの地点で録音するのか」というものだ。例えば、映画を撮った時にハンディーカメラと全く同じ位置で録音した音声と後録りの(役者の口元で録った)音声では全く聴こえ方が違う。発表によれば、日本ではそういう違いの感覚はあれども概念や学術的な研究は殆ど無かったそうだ。たしかに言われてみればそうだ。映画だけではなく、クラシックコンサートの録音等も録音機材を持ったスタッフがなんとなく最適な位置で録っているだろうが、それは音声単体で聴いた時に1番良いと感じられる所で録られた音だ。映像の視点に合わせて感覚的に見聞きできるようにする(例えばピアノだけに注目して映像が撮られている時、ピアノに付けられたマイクの音だけを使う)といった演出には学術的な研究などはされていないし、聴点などの言葉や概念が無いので研究のしようもないのだ。

海外では、後撮りをするのが本来主流だった(元々外にマイクを持っていくことが出来なかった)が、今ではカメラ自体にマイクをつけたり、自由な場所にマイクを設置できるようになったので、どちらの音声を使うべきかというので、しばしば議論になるらしい。私自身、最近見たミュージカル映画が明らかに後録りの歌声だったので強い違和感を感じた。まぁ、そのミュージカルでは、激しく踊ったり、その場には流れていないBGMが流れていたりするので、現場の録音だと音声が不安定になってしまうのだと思う。だからこそ、それらについての聴点の学術的な根拠等は必要だと思う。

 そして、海外でされた聴点に関しての研究論文を参照しつつ日本でも分かりやすい言語に翻訳したり、今までに作られている映像作品をその視点から分類されている。それが進めば、撮影された映像や再生するスピーカーに合わせた適切な位置についての研究がなされていくだろう。
これからは映画だけではなく、VRやゲーム機の音がなるリモコンなどの音声を考える上でその聴点といった概念は益々重要になると思われる。