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演劇の評価基準?

先日、福岡学生演劇祭に観劇しに行った。今日が最終日で、今このブログを書いてる時には最優秀賞が発表がされているだろう。

この演劇祭では学生の演劇を観客が審査して、それの祭典に応じて順位を付けるというシステムになっている。ただ、どういう点に着目するかは観客それぞれに任されていて、クオリティーだけじゃなく好みやら新規性やら色々着眼点がある。
 しかし、そういうのではなく観客がその学生らの演劇を理解できなくて採点出来ない人が採点してしまうというのが私にとっての個人的な恐怖だ。

  実際、私がクオリティーも何も内容が分からず、残念ながら低い点数を付けた芝居に対して「あの演劇すごく良かったよね?」と、深い解説付きで友人から語られると、自分はとてもマズイことをしたなと思ってしまう。別に「全員に伝わらない芝居をした演出や役者が悪い」と言ってしまえばそれで終わりなのだが、本来、深い意味や情緒がある芝居なのに、それを感じ取れない僕のような観客が低い点数を付ける事によって、質の高い(或いは価値がある)芝居が評価されなくなってしまうというのは恐ろしい。

 自分自身、芝居を作る立場でありながら、芝居を観るときは『あの役者の顔、あの有名人に似てるなぁ。』等と小学生みたいに興味のある所を見ては余計な事を考えてしまう。だから簡単なストーリーじゃないと思考が追いつかなかったり、セリフの裏側に隠された意図みたいなものを全く感じ取れない(というか感じ取ろうとするのが面倒くさいと思う)のがほとんどだ。
 したがって、私の好きな芝居というのは、役者が超人的な動きをする(パフォーマンス性の高い)ものか、小学生でも分かるような単純なストーリーのものばかりだ。でも、少なからず福岡ではそういった芝居は少なくて、私自身、作品の意図を全て感じ取れたと実感できる事がほとんどない。でも、芝居の内容が分からなくても、とりあえず出演者や演出「良かったよ!!」と声をかける。私はそんな自分が堪らなく恥ずかしい。

多分、こういった理解が追いつかないと言ったケースは様々なものに当てはめられるだろう。現代芸術なんてその最たるものだし、私が幼少から触れている合唱だって同じだ。私にとっては人々が作品を見て、どこまで理解して評価出来るのかというのはとても気になる所だ。