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初対面の人との会話

 今日は、炎天下の中オープンキャンパスが開かれた。私はそのスタッフとして施設を案内する仕事をしたが、中々に疲れた。疲れるのは案内の場面でだ。演劇人として、コミュニケーションにおける発信・受信はかなり上手くできる自信はあるのだが、初対面の人々とのコミュニケーションは全くもってダメだ。それは、別に人見知りというわけではない。初対面の人に対してどういう立場・距離感で接すれば良いのか分からなくなるのだ。(それを人見知りというのかもしれないが...)

 

 もし、初対面の人が高校生だったとすれば、私の方が年上(20代前半)なので割とフランクに話しかけられる。それがご年配の方だった場合には敬語で丁寧に話す事は普通にできるし、年配の方を立てるのも得意だ。

 しかし、相手が20代前半か20代後半か分からない時は、かなり迷ってしまう。「同年代に見えたら高校生と同じようにフランクに行けば良いじゃないか?」という意見もあるだろうが、そこの線引きが上手くできないのだ。もし若く見えた人だったとしても、仮にその人が自分よりかなり年上だった場合は、「どこから来たん?3DCGって何か分かる?」とフランクに話していた自分がとても無礼なように思えて、非常に申し訳なく思う。だから自分より年上か年下かを判断する度にかなりの体力を消耗する。

 

 そして、高校生とその両親の相手をする場合はまたややこしくなる。その時は、高校生と両親の別々に話しかける事もあれば、家族全体に対して話しかける事もある。するとフランクな喋り方と敬語とが交錯して訳がわからなくなってくる。最終手段は、相手が親だろうが高校生だろうが小学生だろうが関係なく「どこからいらっしゃったんですか?3DCGってご存知ですか?」と丁寧な敬語を使って話す。そうすれば誰にも無礼ではなくなる。しかし、明らかに年下の子ども達に敬語で話すのはあまりにも不自然なので、そのまま話し続けるのもすごく辛い。

 

 日本語はそういう意味では距離感を詰めるのにとても不便な言語だと思う。オープンキャンパスだけではなく、どんなシュチュエーションでも私はそういう困難にぶつかる。初対面の同級生にずっと敬語を使っていたり、さん付けで名前を呼んでいたりして、意図せずに自分だけヨソヨソしい人みたいになってしまう経験も数え切れない程ある。「なんでお前ずっと敬語なん?」と強く突っ込まれると余計に話しづらくなる。でも、そういう時に「同い年なんやから、呼び捨てでええよ!」みたいに明るく一声かけて頂けるだけで、敬語という重荷から解放され、普段のそめやみつをガンガン出していけるようになる。(逆に相手が私と同じように敬語だけ使うタイプでも割と楽に話せる)

 

 多分、私の母語が日本語でなかったら全く別人になっていたんだろうなぁ〜、と常々思う。